寺院・建物



■金剛峯寺(こんごうぶじ)
 高野山真言宗総本山の寺院。高野山は、和歌山県北部、周囲を1.000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。

 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。
  

■壇上伽藍(だんじょうがらん)
 壇上伽藍は弘仁7年(816)から弘法大師が世界で初めて建設を開始した真言密教の大伽藍で、壇上とは大日如来が鎮座する壇、または修行の道場を意味します。伽藍とは、僧伽藍を略したもので、もとは仏道修行者が集って修行する清浄、閑静な場所の意であったが、のちに寺院の建築物を意味する言葉となった。

 弘法大師が、大日如来を中心とした密教の教義や世界観を建造物や仏像、仏画によって目に見える形で表現しようとしたのがこの伽藍。しかし資金不足などにより建設は遅々として進まず、その完成は大師の存命中ではなく、寛平年間(889〜898)まで待たねばならなかった。
 その後、近代に至るまで落雷や火災などにより根本大塔は五度、金堂は七度も再建を繰り返し、昭和58年(1983)、東塔の再建をもって現在の伽藍配置となり、国宝の不動堂を含め境内の建造物は19棟を数る。

■東寺(とうじ)
 京都市南区九条町にある仏教寺院。真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。

 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
  

■青龍寺(せいりゅうじ、しょうりゅうじ)
 中国陝西省の古都、西安市南郊の鉄炉廟村にある仏教寺院であり、弘法大師空海ゆかりの寺として知られている。
 唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。

 会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。しかし、大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。ただ、唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれてしまった。そのため、以後三たび姿を消すこととなった。1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。

 青龍寺は復興され、そこには、日本からの寄贈で、空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。


■綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)
 空海が設立した私立学校。従来の大学や国学が限られた身分の子弟を入学させ、かつ儒教中心の教育を行ったのに対し、はじめて庶民を対象とし、仏教および儒教を教授することを目的とした。綜芸はあらゆる学問、種智は仏の智の意。創立の時期は、828年(天長5)ころと考えられる。
 綜芸種智院式序には、藤原三守の寄進した左京九条の宅・地によって設立したこと、仏教すなわち顕密の二教と儒教の計三教を教育の基本とすること、広く貧賤の子弟に門戸を開くことを明らかにし、さらに仏教および外典の教師を招くこと、教科目、教師と弟子への糧食の支給などを定めている。



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