密教



■密教(みっきょう)
 大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。法身大日如来の身・口・意の三密を説き、加持(かじ)・祈祷(きとう)を重んじる。7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。

■弘法大師(こうぼうだいし)
 延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られた。最初は「本覚大師」の諡号が贈られることになっていたが、「弘法利生(こうぼうりしょう)」の業績から、「弘法大師」の諡号が贈られることになった。

■南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
 南無大師遍照金剛とは、弘法大師空海に帰依するという意味。遍照金剛の名号は、空海が唐に留学し、真言密教を極めた時の灌頂名。
「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり大日如来の別名でもある。

■真言(しんごん)
 真言(しんごん、サンスクリット語:マントラ)とは、大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉という意。転じて仏の言葉をいう。真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる。漢訳では咒、明咒と訳される。
 真言は密教成立以前から用いられており、古代インドから効能がある呪文として重視されてきた。真言を唱えることで、発願を仏に直接働きかけることができるとされている。真言宗では、心で仏を想い、手で印を結び、三返ないし七返声で唱える(三密)。

 真言宗の「真言」はこれに由来するが、真言宗のみで使われるものではない。般若心経の最後にある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」も真言であり、浄土真宗などを除く多くの宗派で読まれている。法相宗では薬師如来への発願で頻繁に唱えられる。禅宗においても、消災妙吉祥陀羅尼や大悲心陀羅尼などが日常的に唱えられる。

■陀羅尼(だらに) 
 陀羅尼(梵名:ダーラニー)とは、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず(不翻)サンスクリット語原文を漢字で音写したものを各国語で音読して唱える。

■虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)
 虚空蔵菩薩の真言を、100万回の数を唱えると、記憶力がすごく高まるという。そして、あらゆる経典を、記憶できる、記憶力が得られるという。この行は、50日か、100日間で、やり終えなければならない。空海は、この行の最中に、天空から口に、明星が飛び込み、悟りを得たという。
【虚空蔵菩薩の真言】「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」これを百万回唱える。

■阿字本不生(あじほんぷしょう)
 密教では,宇宙のあらゆるものは「阿」という字音のなかに含められるとし,すべてのものが本来存在するもので,原理そのものが現れているのだとする。それらは宗教的には大日如来自身の内面的な悟りと同一であるとする思想。


■真言八祖(しんごんはっそ)
 真言宗で崇拝される八人の祖師。大日如来以下の真言七祖に空海を加えた付法の八祖と、竜猛(りゅうみょう)以下の真言七祖に空海を加えた伝持の八祖とがある。
 付法の八祖 @大日如来→A金剛薩土垂→B龍猛(龍樹)→C龍智→D金剛智→E不空→F恵果→G空海
 伝持の八祖 @龍猛(龍樹)→A龍智→B金剛智→C不空→D善無畏→E一行→F恵果→G空海

■真言宗(しんごんしゅう)
 空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。

 同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説いた。
 天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称する。真言宗の密教は東寺を基盤としたので「東密」と呼ばれた。

■天台密教
 中国の天台宗の祖といわれる智ぎ(ちぎ、天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
 この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。

 最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。



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